塩野七生「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」

最近通勤時間が短くなった為(これ自体は非常に幸せな事だけれども)
電車の中で本を読む時間がほとんど無くなってしまいました。
この本も買ってから一ヶ月くらいしますが、ようやく読み終わりました。


チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)


以前マキャベリの「君主論」を読んだ時、チェーザレ・ボルジアなる人物が彼の君主像の理想として
記述されていたのを見てどんな人物なんだろう?と興味を持ってこの本を読み始めました。


チェーザレ(1475-1507)はイタリア中世ルネサンス期の軍人・政治家で
法王アレサンドロ6世の息子として生まれ、一時は枢機卿まで上り詰めるものの
還俗し教会軍総司令官として教会領の回復と当時小国の分裂状態だったイタリア統一を目指した。
当世紀最も華やかな武人とされる一方でその冷徹な政治手腕は多くの政敵を殺害する事もいとわない。
一般的な歴史評価としてはとにかく父親とセットで世紀の悪人と呼ばれるほど評判が悪い。


しかしマキャベリの言葉を借りると為政者の行いというのは善悪の彼岸にあるものであり
後世の道徳的価値ではその正しい評価を判断する事は出来ない。


この本ではチェーザレの生涯を枢機卿時代、教会軍総司令官時代、失脚後投獄・放浪時代の
三つの時代に分け、塩野さんをして「行動の天才」と言わしめたチェーザレの政治家・軍人としての行動を
客観的に描く事によって、その行為に対する評価を正しくしようと試みている。


そこには自分と名を同じくするユリウス・カエサルチェーザレカエサルのイタリア語読み)に憧れ
同時代を生きたマキャベリやレオナルド・ダ・ビンチとも親交を持ち
その当時ただの概念でしかなかった「イタリア国家」を統一しようとする一人の英雄としての
チェーザレの姿が見て取れる。


というわけでこの本で初めてチェーザレを知った人とそうでない人は
チェーザレに対する印象はだいぶ変わるかも知れません。


個人的にはこの本ではちょっとチェーザレを美化している部分もあると思いますが
かといって一般的に言われているチェーザレのイメージ(ボルジアの毒とか妹との近親相姦とか)も
後世のゴシップ的興味によって作られた物が多いような気がします。
歴史的には「敗者」であるチェーザレにはその姿を正しく伝える術も無かった訳ですし。